自治体のチャットボットには、苦い記憶があります。4〜5年前のブームで多くの自治体が導入に踏み切り、その多くが期待した成果を出せませんでした。
当時の定石は「FAQを作り込めば精度は上がる」。職員がFAQを書き、シナリオを設計し、選択肢ツリーを組む——そうすれば市民の質問に答えられるはずだ、と思われていました。
しかし実際は逆でした。自治体という組織では、FAQを作り込むほど運用は破綻に近づきます。
この構造に気づき、FAQを作らないという逆の設計を選んだのが静岡市と四日市市です。両市は検討の経緯も推進部門も異なりますが、たどり着いた結論は同じでした。本稿では2つの事例から、自治体特有の環境がなぜFAQ運用を許さないのか、そして何を「正」とすべきかを掘り下げます。
自治体のFAQ運用は、構造的に破綻する
民間企業のサポート部門なら、FAQ整備は王道です。扱う商材が決まっており、担当チームが継続的にメンテナンスできるからです。自治体はそうではありません。
第一に、業務の幅が桁違いです。税、保険、年金、ゴミ、保育、教育、防災、道路、水道——市役所は「ゆりかごから墓場まで」のあらゆる手続きを扱います。
この全域をカバーするFAQを作るということは、全部署を巻き込んだ巨大な執筆プロジェクトを立ち上げるということです。しかもFAQのメンテナンスは、各課が通常業務の合間に対応するしかありません。部署ごとに粒度も整備状況もばらつき、更新漏れが頻発します。
第二に、自治体には年度末の機構改革があります。
四日市市が以前導入したチャットボットでは、年度末の組織再編で担当部署が変わるたびに「面倒を見られないFAQ」が発生し、誤った回答を市民に返すリスクが顕在化しました。しかも問題は、それが気づかれにくいことです。所管が変わる過程で引き継ぎ先が定まらないまま残ったFAQは、市民からの指摘で初めて存在が分かる。
FAQという資産は、作った瞬間から陳腐化が始まり、異動と組織再編がそれを加速させます。担当者が2〜3年で入れ替わる自治体では、これは運用の巧拙ではなく構造の問題です。
そして第三に、誤答の重みが民間とは違います。
四日市市の担当者は「税金をいただいて運営している以上、市民に正しい情報を還元できるサービスでなければなりません」と語ります。放置されたFAQが古い制度を案内することは、単なる品質問題ではなく、行政への信頼の問題になります。
かつてのブームで自治体チャットボットが挫折した本当の理由は、AIの性能ではありません。公式サイトとFAQという「正」が二つ並立し、片方だけが更新されていく——この二重管理の構造が、自治体の組織と相性が悪すぎたのです。
市民は制度名を知らないまま、電話をかける
一方で、市民側にも自治体特有の事情があります。答えはすでに公式サイトに載っているのに、市民がそこへたどり着けないのです。
静岡市には、代表電話に年間約14万件、コールセンターに年間約3万件の問い合わせが寄せられていました。注目すべきは、コールセンターの一次対応率が9割を超えていたことです。
担当課に取り次ぐことなく、その場で回答できているということです。広報課はここから逆算しています。一次対応で完結するということは、市民が公式サイト上で必要な情報にたどり着けさえすれば、電話をかけずに解決できたはずだ、と。
では、なぜたどり着けないのか。広報課長の大塚泰氏が指摘するのは、市民は制度名や正式名称を知らないまま問い合わせるという事実です。行政の制度名は日常生活で使う言葉ではないので、これは当然のことです。しかしサイト内検索は、その正式名称を入力できることを前提にした仕組みです。「引っ越すんだけど何をすればいいのか」という言葉で探す市民には、うまく応えられません。
さらに、行政の情報は縦割りで整理されています。四日市市が挙げた例が象徴的です。市民が「納期限はいつですか」と聞いたとき、従来のチャットボットは住民税の納期限を聞いているのに固定資産税の納期限を答えてしまう。
どの制度の話かを市民の側が言い分けてくれる前提には立てない以上、一問一答で正解を返すことは原理的にできません。必要なのは「税金、保険料、水道料金のどれですか?」と聞き返すことです。
見落とされがちですが、両市とも「電話を減らしたいからAIを入れた」のではありません。
四日市市の担当者は「電話に出たくないからAIを導入するのではない。市民一人ひとりに最適な解決手段を提供したい」と明言しています。朝の出勤前に手続きを確認したい人、電話が苦手な若い世代、開庁時間外に台風時のゴミ収集が不安になった人——電話という単一の窓口では拾えない市民に、もう1つの入口を用意することが目的です。電話窓口が開いている時間だけを見ていては、そもそも観測できなかった需要です。
「正」を公式サイトに一本化する
2つの課題。「職員はFAQを維持できない」「市民は制度名を知らない」を同時に解く設計が、両市の共通解です。構造は次の3つに集約されます。
ナレッジの一本化:
FAQを新たに作らず、公式ウェブサイトを唯一の「正(マスターナレッジ)」としてAIが直接参照する。サイトを更新すればAIの回答も追従するため、二重管理が発生しない聞き返しによる意図の確定:
市民の曖昧な言葉に対し、一発回答ではなく選択肢を提示して段階的に絞り込み、正しいページへ誘導するログによるサイト改善の循環:
AIが答えられなかった会話ログを、公式サイト側で手を入れるべき箇所を見つけるシグナルとして使い、サイトそのものを良くしていく
2点目の「聞き返し」には、実装上のコツがあります。一度に複数のことを聞かないことです。「妻の住民票がほしい」に対して「どなたが申請しますか? 同居ですか? 窓口と郵送どちらですか? お急ぎですか?」と一気に返すのは、窓口では起こらない対応です。
熟練職員は一つ聞いて、答えを聞いてから次を聞く。聞き返しは多いほど賢いのではなく、1回に1問でなければ市民は途中で離脱します。この設計は、市民の語彙で始まった会話を、行政の制度名にたどり着かせるための階段です。
静岡市と四日市市が導入したのは、この設計を実装した自治体向けAIエージェント「GeN - Gov Edition」です。両市とも複数社を比較し、実際の質問で正しいページに到達できるかという正確性と、既存の公式サイトだけで運用が回るかという保守性を基準に選定しています。

答えられなかったログが、次に直すページを教えてくれる
3点目が、この設計の隠れた本丸です。FAQ複製型では「ボットが答えられない」はボットの敗北で終わりますが、参照型では「サイトのこのページが分かりにくい」という具体的な改善指示に変換されます。AIも市民と同じように、分かりやすいページを必要とするからです。
実際にログを読むと、「答えられなかった」は3種類に分解できます。この分解ができることが、参照型設計のいちばん実務的な価値です。
サイトに記載がない、または詳しく書かれていない
— 制度の細部(対象条件の例外、処理にかかる日数など)が載っていないケース。これはページ側に加筆すべき箇所の指摘になります。そもそも市の管轄外
— 県・国・勤務先が所管する制度への質問。これは「どこに聞けばよいか」の案内をサイトに置くべき、というシグナルです。情報はあるのに、AIがたどり着けない
— 最も見落とされ、最も改善効果が大きい類型です。
3つ目が重要なのは、AIが読み取りにくいページは、市民にとっても読み取りにくいからです。
静岡市では、庁舎駐車場の案内がPDFの先に置かれていたことが分かり、案内ページ側に記載を追加しました。健康保険証を本人確認書類として使えるという以前の記載が残っていたことも、AIが答えに詰まる過程で見つかり、修正につながっています。
つまり参照型のログは、公式サイトに対する継続的な棚卸しリストとして機能します。しかも会話ログという客観的な根拠があるため、所管課への修正依頼の説得力も上がったといいます。AIを入れたら、公式サイトそのものが良くなっていく——FAQ複製型では起こり得なかった副産物です。
補足すると、この循環はアンケートでは回りません。チャットの回答に評価(👍👎)を返してくれる市民は、ごく一部です。市民は不満でも黙って離脱します。だからこそ、評価ボタンではなく会話そのものを読むことが、実質的に唯一の観測手段になります。
とはいえ、すべての会話を人の目で追うのは現実的ではありません。そこで運用は二段構えにしています。「役に立った・立たなかった」の評価が付いた会話は人が目で確認し、それ以外はAIを使って全件チェックする。人が読むべき会話をAIに絞り込ませる、という分担です。
このとき、手がかりのひとつになるのが「たらい回し」です。
聞き返しは本来、市民の言葉を制度名に近づけるための階段ですが、回答の根拠になる情報が公式サイトに載っていない場合、何度聞き返しても着地点にたどり着けません。市民から見れば、質問するたびに質問を返され、最後まで答えが出てこない。意図の確認だったはずの聞き返しが、たらい回しに変わってしまいます。
これは先の3類型のうち1つ目、つまりサイト側の記載が足りていないことを示す、かなり明確なシグナルです。私たちは、たらい回しが起きている話題を定例会で報告し、どのページに何を書き足すべきかという改善提案とセットで共有しています。
FAQ作成ゼロ、実質1.5ヶ月でリリースできた
FAQを作らない設計は、導入スピードに直結します。静岡市は1月中旬の契約から3月6日のリリースまで、テスト期間を挟んで実質約1.5ヶ月で構築を終えました。
従来型なら数ヶ月かかるFAQ構築フェーズが、そもそも存在しないからです。準備したものは「本当に少なかった」といいます。まずデモ環境を用意し、2月中に各課に実際に使ってもらいながら精度を詰める、という進め方でした。
そして運用開始後には、前述の循環が実際に回り始めました。会話ログはサイト改善だけでなく、広報の打ち手にもなりつつあります。台風の前後にゴミ収集の質問が増える、開庁時間外に災害関連の不安が寄せられる——アクセス数では見えなかった市民の関心が、自分の言葉で残るからです。
6月上旬に台風が接近した際には、その前夜に「台風でゴミ収集車は来るのか」という質問が集中しました。なかには「台風」という言葉を使わず、「ゴミ出しできますか」とだけ聞く市民もいます。静岡市は今後、こうした問い合わせが増える時期を予測した先回りの情報発信を構想しています。
私たちは、自治体AIの成否は「作らない設計」で決まると考える
私たちは、自治体のAI導入で最初に問うべきは「どのAIを選ぶか」ではなく、ナレッジを作る仕事を増やさずに済むかだと考えています。FAQの新規作成を前提にした瞬間、毎年の異動と機構改革が時限爆弾になります。逆に、公式サイトという既に維持されている資産を「正」に据えれば、AIの運用は特別な仕事ではなく、サイトを正しく保つといういつもの仕事に溶け込みます。
四日市市は先に、対面・電話・チャットを市民が選べる総合コンタクトセンター構想を描いています。静岡市は会話ログを起点に、先回りする広報へ踏み出そうとしています。どちらも、AIを電話の削減装置ではなく、市民接点を増やし行政自身を改善する装置として使い始めています。
あなたの自治体の公式サイトは、AIが読んで答えられる状態になっているでしょうか。判断は難しくありません。よく問い合わせが来る手続きを3つ選び、その答えがPDFを開かずにページ本文から読み取れるか、制度名を知らない市民の言葉でたどり着けるか、去年の記載のまま残っていないかを確かめてみてください。FAQを書き始める前に、まずその問いから始めることをすすめます。
自治体向けAIエージェント「GeN - Gov Edition」の詳細に関心のある方は、お気軽にお問い合わせください。
このブログを書いた人
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